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看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

共感的態度になれるのか?私じゃ無理かもしれない

student

一人でひとりの患者さんを受けもつ、初めての実習。
実習先は外科病棟。患者さんは老年期の方だった。

ぶっかった壁はコミュニケーション。身近にお年寄りと呼べる存在がいなかった私は、高齢者の方と話をすることに慣れていない。しかし、人と話すこと自体が苦手なわけではないので会話はなんとかつづく。

 

患者さんは皆70代、80代で、私の何倍も長い人生を歩み、私の何倍も多くの経験を重ねてこられた方々だ。その話の中には、戦争の苦しみ、家族や友人の死、自分の病気のことなど、私が経験したこともなくまた想像すらできないこともたくさんあった。

私は相手がどのような思いでその話をしているのかがわからず、またどう反応したらいいのか、相手がどのような反応を期待しているのかもわからなかった。とりあえず投げ返すことができても、どういうふうに、どこに投げるべきかがわからないのだ。

そんな時、教科書に

「共感的態度で」という言葉が載っていることを思い出した。
とっさに実践。ある患者さんが、これから受ける手術について話された時は、

「そうですね、不安ですよね」と。

手術後に傷について話された時は、「そうですね、痛いですよね」と返した。

ところが、その患者さんはどちらの返事にも話の流れとは一転して、

「いや、そうでもない」等と言う。また、ご家族が亡くなられたことについて話された時は

「辛かったでしようね」と返した私に、

「いや、苦しみながら長生きするより、若くてもポンと逝ってしまったほうがよかったんだ」と言うのだ。

これは予想外の展開。家族だからこそ言える台詞。他人の私が「そうですよね」等と共感してよいものか。

私は、「そうですか・・?」と、再びとりあえずの返事をするしかなかった。共感的態度作戦、失敗か。

学校に帰り、考えてみた。まず「そうでもない」と返されたことについて、他の患者さんと比較してみる。その患者さんの前に受けもったもう一人の患者さんは、手術は怖いと言っていたし、手術後の傷についても痛みがあり辛いと訴えていた。

しかし、今回の患者さんは手術や傷の話をしながらも、怖くも痛くもないという。何が違うのか。そしてハッとした。自分の中に、それらの物事に対する固定観念があったことに気づいたのだ。

「手術は誰でも怖いもの」「傷はどれも痛いもの」という考えだ。患者さんとの会話を思い出してみる。どういう手術かという話はしていたが、”怖い”とは言っていない。”傷跡が気持ち悪い”とは言っていたが、”痛い”とは言っていない。

患者さんはそのままの気持ちを伝えていただけなのに、「普通は」という考えに囚われた私が、患者さんの言葉を無意識に曲げていたのだ。不安や痛みはその患者さんの心情ではないから、それを思いやったところで共感したことにはならない。その患者さんの訴えは、もっとべつのところにあったのだ。

さらに、患者さんが言ったことすべてに、

「そうですね」と答えることは共感とは言えない。真に共感するためには、

「その人が今何を感じているのか」「今その話をする理由は何なのか」をよく見極めなければならなかったのだ。

では、家族の死についてはどうか。私は、「辛かった」と返すべきだったのか、それとも「苦しむよりよかった」と返すべきだったのか。しかし、これについてはいくら考えても、一人で答えを出すことはできなかった。

家族を亡くしたことのない私にとって、その複雑な心情を推測することは難しい。


学生カンファレンスでの看護師さんの言葉だ。

「皆さんの意見は、こちらが一方的に判断しようとするものが多かったようです。私たち看護師も何かと推測ということをしがちです。先のことや隠れているものを見つけようとするからです。しかし、その推測が必ずしも正しいとは限りません。特に人の気持ちは完璧にはわからないので読み間違えることもあります。一番早くて確実な方法は、患者さん自身に聞くこと。どうされましたか?とオープンクエスチョンで聞く。そうすれば患者さんは意外に語りだしてくれるもの。もし話をしたがらなかったとしても、それもまた一つの答えになります」

なるほど、と思った。言われてみれば簡単なことなのに、一人では気づくことができなきかった。私は足りない技術を補おうと、見えないものばかり追いかけていたようだ。人の気持ちはわからないことのほうが多い。それは看護師だけではなく、人間誰もが感じていること。

それをわかった振りをして「そうですね」と答えたところで、その言葉はとても軽薄なものになる。患者さんはそんなことではなく、真剣に話を聞こうとするその真摯な態度を望んでいるのだ。

これを先に述べたコミュニケーションの問題に当てはめてみると、大切なことが見えてくる。

「わかることではなく、わかろうとすることこそ重要」ということだ。教科書に載っていたのは、「共感する」ではなく、「共感的態度で」という言葉ではなかったか。

今回の実習では、技術はもちろんコミュニケーションについての学びがとても大きかった。

退院の日、たいしたこともできなかった私に、「たくさん話を聞いてくれてありがとう。それでとても助かったのよ」と言って手を握ってくれた患者さんの笑顔が忘れられない。

看護という道を選んでよかったと心から思える瞬間だった。学生の受け入れを断られる方が増える中、未熟な私をそばにおき援助させてくださった患者さんには本当に感謝している。

一方で、そんな患者さんに満足な援助もできず、何も返すことができなかった自分を情けなくも思った。

これからたくさん勉強をして実習をして、知識で技術で、身体面で精神面で、患者さんに少しでも多くの「何か」を返せるよう努力したいと思う。