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看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

自分は実験材料にされている

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進行した肺がんで、化学療法と放射線療法を繰り返していた70代の男性・Aさん。肺がんの治療としては、非常にオーソドックスな治療を行い、結局発見から約一年ぱどで亡くなりました。

この患者さんが忘れられないのは、病状が悪くなるにつれて、常に医師や看護師に疑いの目を向け、関係がぎくしゃくしたことです。

 彼は亡くなる三ケ月ほど前、脳への転移から手足に麻痺が生じ、べッドから起きるのが大変になりまし大。この頃から、「自分は、実験材料にされている。効くか効かないかわからない、新しい治療を試されている」と言いだし、妻と娘もそれに同調したのです。

行った治療としては、脳の転移巣への放射線照射が主。特に変わった治療はしていません。けれども彼の思い込みは、ほとんど妄想に近づいていました。

お互いに運がなかったのは、ちょうどこの時期、主治医が元々の所属だった大学病院に戻ったこと。「俺の実験結果のおかげで、あいつは大学で偉くなるんだ」と、訂正不能な思い込みを持つに至りました。

結局Aさんは、その思い込みを持ち続けたまま、家族共々心を閉ざし、最期を迎えました。

Aさんの事例は、家族関係にも難しさがありました。本人、妻は寡黙で、娘はかんしゃく持ちでした。元気な時、娘が両親を怒鳴り、収拾がつかなくなっているのを目にしたことがあります。

私が近づいてきたのに気づいた男性が、「人目があるから」と娘を制したところ、何か暴言を吐いて娘は帰っていきました。

彼が妄想的になってからも、主にいろいろ言ってくるのは娘。Aさん夫婦は、いつも硬い表情で、多くを語りませんでしたね。言語的にわかり合おうとする習慣は、あまりない家族だったのかも知れません。

今思うと、病状の悪化を医師の野心と絡める陰謀論は、あの家族の言葉の浅さと、関連しているように思えます。

物事の複雑さを考えられない人は、目の前の人に罪をなすりつけるのではないでしようガ

思想家の内田樹は、「陰謀論が好まれるのは、知的負荷が低いからだ」としばしば指摘しています。内田氏の常に冴えた思考、鋭い筆致には、しばしば唸るところですが、この指摘には、なんの注釈もなく同意できました。

知的負荷という見地から見れば、医療制度は複雑で、知的負荷が大きいでしようね。

報道ひとつも落ち着いて読み解かないと理解できないのも、医療の世界で陰謀論が蔓延しやすい一因だし思います。

病気で具合の悪い人は、なかなか元々の知力さえも、振り絞るのが大変。ふだんなら、ちよっと考えればわかることが、わからなくなってしまう。これはもう、本人を責めるのは酷という気がします。

さらに難しいのは、こうした陰謀論が、患者さんのアイデンティティになり得る点。

Aさんが、「実験材料にされる」という時、彼のがんは、希少なものとして、自覚されているわけです。実際には、彼のがんはありふれたがん。時期によっては治験などの対象にならないとは言えませんが、取り立てて実験材料にするような、希少性はありません。

彼の経過を思う時、病気をめぐる陰謀論は、本当に一筋縄ではいかないなあ、とため息が出ます。

私自身は、死ぬまで人を疑って終わるなんて、気の毒だな、と思うのですが、それはあくまでも私が今思うこと。ありきたりの病気で命を終えるよりも、とんでもない陰謀の被害者として終わる方がいいと、考える人もいるような気もします。

これは、私の持論であり経験から得た意見であります。