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看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

医療行為へ高まる警察、マスコミヘの不信感

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「福島県立大野病院事件」では、2004四年、福島県大熊町の同県立大野病院で、前置胎盤にともなう帝王切開手術を受けた女性が、手術中に亡くなった。

 福島県側が設置した医療事故調査委員会が「医療側に過失があった」と認めたことをきっかけに、マスコミ報道などに火がつき、手術を担当した産婦人科医が業務上過失致死容疑などで逮捕、起訴された。

一方、手術の経緯をめぐっては、医療関係者を中心に当初より「医師の過失」との判断を疑間視する声が上がっていた。日本産婦人科医会や全国各地の保険医協会、医療関係者でつくる労働組合などが相次いで医師の逮捕に抗議する声明を発表。この産婦人科医を支援する医師たちによるグループも発足した。

当時、同病院は二次救急病院に指定された地域の中核施設。常勤の産科医はこの医師だけで、いわゆる「一人医長」として過重な業務をこなしていたとみられることや、医師が事前に女性側に対し、より設備の整った大学病院での分娩を勧めていたとされることなどからも、医療関係者を中心に医師への同情論が高まった。

裁判では、2008年8月、福島地裁が無罪判決を言い渡し、検察側が控訴しなかったため、地裁判決が確定した。無罪確定後は、全国の医療関係者らの間で、警察や検察、メディアヘの不信感が深まった。

警察は「調査に協力的だった産婦人科医を逮捕までした」、検察は「十分な医療知識がないにもかかわらず起訴に踏み切った」、メディアは「遺族側の言い分ばかりに耳を傾け、専門的な見識を欠いた報道を垂れ流した」などとして批判された。

また、事件後に全国の病院で産婦人科が相次いで閉鎖されたとして、医師の逮捕や裁判が「医療崩壊」の引き金となったとの指摘も相次いだ。やがて一部のインターネットの掲示板やブログでは、「医療行為に対する業務上過失致死罪の適用を除外するべきだ」との主張も出現。

さらには、裁判やメディアを通して病院や医師を糾弾した遺族にまでバッシングの矛先が向けられるようになった。医療関係者が医師の逮捕や裁判により、医療崩壊や医師の「逃散」につながったと指摘する医療事故はほかにもある。

1999年、東京都杉並区の盆踊り会場で、四歳の男児が転んだ拍子に手に持っていた綿あめの割り箸がのどに刺さって亡くなった「杏林大学割り箸死事件」。診察にあたった杏林大学医学部付属病院の耳鼻咽喉科医は業務上過失致死容疑などで起訴された。

2006年、奈良県の「大淀町立大淀病院事件」では、同病院で出産中だった女性が脳出血を起こし、その後、転送された病院で出産後に死亡。いずれの事件でも、遺族は医療機関と医師を相手取り損害賠償を求める訴訟を起こした。

杏林大学事件の特徴のひとつは、手術など積極的な治療の結果ではなく、割り箸の一部が脳内に残っていることを発見できなかった、いわゆる「不作為の医療行為」が問われたことだと言われる。

多くの医師の間に「『何もしなかった』ことを理由に結果責任を追及されるのであれば、医療は成立しない」との衝撃が広がった。また、大淀病院事件では、病院側がミスを認めていないにもかかわらず、マスコミが「医療ミス」「たらい回し」と報道したことから、メディアヘの不信感が噴出した。

大野病院事件と同じく両事件ともに、裁判では医療機関と医師の無罪と勝訴が確定している。

業務上過失致死罪適用除外、遺族バッシングまで

医療界では、「福島県立大野病院事件」と「杏林大学割り箸死事件」、「大淀町立大淀病院事件」にはいくつかの共通点があるといわれる。ひとつは、報道の一部が必要以上に扇情的だったこと。さらに、裁判になったものの、最終的に刑事、民事ともに医療側が「勝利」したことだ。このため、患者やメディアの過剰な安全要求が現場に与える悪影響や、医療行為への業務上過失致死罪の適用除外を訴えるときの根拠として、これらの事件が持ち出されることが多い。

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確かに、メディアヘの批判は同業者として耳を傾けるべき点が多い。しかし、医療行為だけを業務上過失致死罪の適用から除外とすることは、果たして適切なのだろうか。医師らでつくる労働組合、全国医師ユニオン代表の植山直人さんは「ただ単純に医師だけを特別扱いすることは難しい」としたうえで、こんな提案をする。

「医療ミスの背景には、労働基準法と医師法、刑法の三つの法律との関係があります。労基法は残業時間を規制していますが、これが多くの病院で守られていません。それから、医師法には応召義務が定められていて、医師は原則、診療を拒むことができません。そして、刑法の業務上過失致死罪。つまり、医師は法律無視の過重労働のなか、診療を断ることも許されず、そんな状況でミスを犯しても、刑事罰はきっちり間われる。
これでは、医師にとっても酷な話です。まずは、労基法遵守。そして、万が一、違法な過重労働があれば、医師は場合によって診療を断ることができる、あるいは一部の刑事責任は免責される、といったルール作りを検討することが必要なのではないでしょうか」

一方で、医療ミスを訴えた患者や遺族まで批判する風潮には、私(筆者)は違和感を覚える。一部のインターネットブログやテレビ番組は、一連の事件の遺族らについて「私的な復讐心を満たしたいだけ」「医療崩壊を招いた元凶」と糾弾。なかには「醜い裁判沙汰」「医療知識なきトンデモ訴訟」「(大淀町立大淀病院事件で)脳出血で母体が死ぬリスクが理解できない夫に妻を妊娠させる資格なし」などの中傷もあった。

医療ミスや医療過誤訴訟が報道や書籍などで取り上げられるようになったのは、主に1990年代に入ってからだ。これをもって、一部の関係者は「医療バッシングが増えた」と言うが、正しくは、それまで表ざたにならなかった医療ミスが顕在化したにすぎない。

卑近な事例になるが、私が以前、婦人科にかかったとき、医師から直近の生理開始日を聞かれたので手帳を見ながら答えようとすると、「早く答えて」と怒鳴られた。検査の内容や結果をこちらが尋ねるまで教えない医師もざらにいる。また、すでに意識がなく、だれもが臨終が近いと思っていた親類は最期、若い医師に気管挿管された直後に亡くなった。後で看護師から「必要ない措置だった」と打ち明けられたため、親族の間では「練習台にされたんだ」ということになっている。

最近、不当に権利主張する「モンスターペイシェント(患者)」が増えて、現場を萎縮させているとの指摘は否定しない。ただ、それと同じく、「モンスタードクター」もいるということだ。以前に比べて、患者側が一部の医師の不遜な態度や倫理観の欠如に対して声を上げ始めたことは、むしろ健全なことだ。

問題があるとすれば、事実関係を裏付けることなく、患者。遺族側の言い分だけを垂れ流した一部のマスコミの報道だろう。また、私は以前、新聞社に勤めていたとき、ある取材先から名誉毀損で民事提訴されたことがあるが(地裁、高裁、最高裁ともに勝訴)、提訴を取り下げてほしいとは思わなかった。

報道を止めることが目的としか思えない提訴にストレスは感じたが、司法の場で自黒をつける権利はどんな場合でも保障されるべきだと考えたからだ。医療過誤訴訟で患者側が敗訴するたびに、「裁判を起こすべきではなかった」といった主張が出てくるのは傲慢で危険な風潮なのではないか。

福島県立大野病院事件では、遺族が公判や記者会見などで病院や医師を糾弾したことを問題視する声もあったが、係争相手を批判するのは当たり前だ。敗訴判決に納得できないと訴えるのも自由だろう。不測の事態の下で大切な家族をなくせば、だれもが関係者を追及したり、感情的になったりすることがあるはずだ。

私は一連の事件に対する判決は妥当だと思う一方で、遺族の発言や態度をことさらに咎めたてる社会は不寛容だとも思う。また、この事件をめぐっては「事件をきっかけに産婦人科が減った」との指摘を耳にする。しかし、厚生労働省の統計によると、産婦人科を標榜する病院はこの20年近く、一貫して減り続けている。

2000年以降、前年比の減少率は1%代後半から3%代前半を推移しており、特段、事件による著しい影響があるようには見えない。大野病院事件の舞台となった福島県大熊町。太平洋を望むのどかな海辺の町だが、東日本大震災では放射性物質漏れが起きた福島第一原発の所在地としても全国に名前を知られることになった。

事件後、福島県が赤字経営を理由に県立大野病院を統廃合する方針を打ち出したこともあり、地域には今も「(遺族のせいで)医師が逃げて病院がつぶれた」という不満がくすぶっているという。

まとめ

医療トラブルの最も大きな原因は、現場の過重労働を放置した国や自治体の政策にこそある。医師と患者、マスコミの間の溝ばかりが深まることほど、不毛な対立はない。