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看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

患者さん、死ぬ間際まで側にいさせてもらってありがとう

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終末期にある患者は、身体的な苦痛の緩和と同時に精神的な支えを必要としている。

できるだけ安心感をもってもらい、死に対する不安や恐怖を緩和するために、患者のそぱにいて時間を共有することが大切である。また、死を迎える時に、自分の生涯を意味のあるものとしてとらえ、生を全うするためには、どのような環境にあってもその人らしい生活を取り入れることが必要である。

 

今回の実習で、会話のできないA氏のそぱにいることでA氏らしさを知り、援助にもそれを取り入れた。A氏とのかかわりをとおして、「そばにいること」の意味、またその人らしく過ごせることがターミナルケアにとって重要であることを学べたので報告する。

なお、ここで取り上げた事例において個人が特定されないように変化を加えた。また、実習病院では、患者さんの本研究への同意を得ている。

事例紹介

A氏は70歳台の女性である。舞踊の先生で、弟子や仲間がよく見舞いに来ており「とても綺麗な人で、扇を舞わすのが上手な人だった」と話していた。親類は、「きっちりした性格で、着物を着こなす綺麗な人だった」と話していた。

現病歴は、肺がん、がん性髄膜炎である。発語はないが、時折「はい」と返事をすることがある。視線をあわせることや、問いかけに対してわかったような表情や手を掘り返すことができる。

痛みや呼吸困難による苦痛が強い時は手を強く握り、体を激しく動かす。常に喘鳴があり、喀痰も多く、自力で喀痰することができなかった。38度台前後の発熱が頻回に見られた。

本人・家族には、疾患について告知されている。家族には予後についても説明されている。

看護の実際

受けもち一日目

私は、A氏には死の受容に対して葛藤と不安があるのではないかと考えた。それは、入院直後から急激に意識レべルが低下し、現状に至るまでの時間が短期間であったからである。また、A氏は呼吸困難や、髄膜刺激症状による頸部痛に苦痛を感じていた。

そのような症状は不安や恐怖感の原因になると思われたので、できる限りA氏のそぱで過ごそうと考えた。

 

注:SPO2とは、

パルスオキシメーターで計るのは「動脈血酸素飽和度(と脈拍数)」です。 動脈(心臓から全身に運ばれる血液)に含まれる酸素(O2)の飽和度(Saturation:サチュレーション)をパルスオキシメーター(pulse oximeter)を使って計っていますので、その測定値をSpO2(エスピーオーツー)と呼びます。

受けもち二日目

朝から発熱して傾眠傾向であったが、声かけに「はい」という返事があった。私はべッドサイドに座り、A氏の手を握っていた。ボルタレン坐薬で解熱したため、全身清拭を行った。その後、A氏が私の手を握って離そうとしなかったため、不安を感じているのではないかと思いそばにいた。

受けもち三日目

午前九時の検温の際は特に異変がなく、意識もはっきりしていた。手を握る力がいつもより強かったので、「今日も一日そばにいますね」と声をかけると、A氏は安心したように目を閉じていた。

発熱がなかったため、全身清拭と陰部洗浄を行った。全身清拭の準備を行う際、A氏のもち物には化粧品が多く、床頭台の中には化粧水がきっち
りと並べられていることに気づいた。また、A氏の手は握っていることが多いため、手指の汚染が著明であることに気づいた。

口臭も気になった。たくさんの化粧品があること、物品が整理整頓されていること、舞踊の先生をしていたことなどから、A氏は身だしなみにとても気をつけていたのではないかと考えられた。

そこで、顔面清拭をした後に化粧水で肌を整えようと考えた。また、皮膚の汚染や口臭はA氏にとって不快であり、本来のA氏の姿ではないのではないかと考え、毎日口腔ケア、手浴を行うことにした。私は、清拭と陰部洗浄が終了した後もべッドサイドに座っていた。

すると、喘鳴が激しくなり、表情が変わった。SPO2が61%まで低下したため、吸引と酸素吸入をしてもらった。その間、A氏の汗や涙を拭いたり手を握ったらしながら声をかけつづけた。その後、A氏の呼吸状態は安定した。私はこの時、「A氏のそばにいてよかった」と思った。

受けもち四日目

朝一番に顔面清拭と手浴、口腔ケアを行った。化粧水をつけると顔色がよくなり、A氏がもっていたデンタルリンスで口腔ケアを行うと口臭も軽減された。一緒に援助していた教員や学生から「Aさん、綺麗になりましたね」と声をかけられると、A氏は涙をにじませた。

援助している時のA氏の表情はとても穏やかで、状態の変化も見られなかった。

午後から、家族に会うことができた。私は、A氏らしい時間を過ごしてもらいたいと考え、A氏の生きがいであった舞踊の音楽を聴かせてあげたいと家族に伝えた。家族は承諾してくれて、テープを持参してもらうことになった。

受けもち五目目

喘鳴が著明で、SPO2は80%台にまで下がり、視線をあわすこともできなくなっていた。どのような時もA氏らしい生活を送ってもらいたいと考え、朝の整容を行った。口臭や皮膚の汚染を取り除き、肌も清潔に整えた。

物品を片付けて部屋に戻ると、発汗が著明で、目には涙がたくさん溜まっていた。SPO2が70%台にまで下がっていたため、酸素吸入と吸引が行われたが、状態は安定しなかった。私はA氏のそばにいて汗をふいたり手を握ったりしながら、声をかけけ続けた。

A氏はその後間もなく亡くなられた。

化粧をし、着物を着て足袋を履いたA氏は、生前の姿を思い起こさせるような姿であった。家族も「綺麗にしてもらって、生きているみたいね」と涙を流していた。

そしてA氏の夫が最後に「ありがとうございました」と涙声で言ってくださった。

評価・考察

ほとんど無症状で入院したA氏は、ニか月あまりで急変し、自分で語ることも動くこともできなくなってしまった。A氏には呼吸困難と強い痛みがあったので、死に対する不安や恐怖も生じていたのではないかと思い、できる限りそばにいようと考えた。

痛みというのは、人間にとって最大の苦痛であり恐怖である。不安や恐怖心が増大すると、痛みはさらに増強していく。また、呼吸困難は死への恐怖を生じやすい。

患者のそばに座り、訴えを十分に聞き、患者の不安を共感して、できるだけ一人にしないようにした。

私は「Aさんのためになにができるのだろうか」と考えながら、A氏の手を握り、そばに居つづけた。A氏が急変した時に誰もいなければ、A氏は、気持ちを訴えることができずに呼吸困難で苦しみ、不安や恐怖にさいなまれたであろう。

また、そばにいたことで、A氏のもち物や家族・親族・友人たちの会話から、A氏の本来の姿を知ることができた。その人がその人らしい生を全うするのを援助するのが終末期における援助の基本的理念である。

A氏のそぱで過ごす時間を長くし、家族や友人たちとコミュニケーションをとることで、舞踊が生きがいであったことや、身だしなみにはとても気を遣い、綺麗にしていたということを知ることができた。

そのことから、私は毎朝の整容や手浴・口腔ケアを習慣づけて十分に清潔を保つようにした。これらの援助はA氏にとって安楽な援助であり、自分らしい生活を一部でも取り戻せたと思ってもらえ、そのことに私自身も喜びを感じることができたのではないかと考えた。

また、A氏の一番の生きがいであった舞踊を援助に取り入れ、よりA氏らしい時間を過ごしてもらいたいと思い、舞踊の音楽を聴いてもらうことを計画した。

舞踊の音楽を聴きながら、元気だった頃の自分の生活を振り返り、今まで生きてきた人生を肯定的に捉えてほしいと思った。

ライプレビューは一般的には他者に語ることで行われるが、語ることのできないA氏は舞踊の音楽を聴さながら、自分の中で反芻しながら過ごすことで、安楽な時間が過ごせるのではないかと考えた。

家族や舞踊の仲間に「A氏にテープを聴かせてあげたい」と話すと賛成してもらうことができた。実施には至らなかったが、その話を聞いてA氏は涙を流された。

A氏の死をとおして看取られる者・看取る者が共に死を学び、成長することの意味を学ぶことができたように思えた。ターミナル期における看護では、その人の最期にかかわることに責任をもち、またその人が自分らしく過ごす時間をもてるようにかかわることが一番大切なのではないかと考える。

おわりに

今回、A氏のケアをとおして、そばにいることの意味、その人らしさを支える援助について学ぶことができた。

人生で一番大切な時期にかかわらせていただいたことに感謝し、患者さんからの学びを忘れず、さらに看護を深めていきたい。