看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

看護経験を通して学ぶことの大事さ

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私の周囲にいる多くの看護師は研修やセミナーによく参加しています。勉強熱心であり、知識を得たいと考えていることが伺われます。

私も若い頃、日々の仕事をしながら、日勤の終わった後や休みを削ってセミナーに参加していました。

 知識を得ることが実践を深め、看護のやりがいを感じることにつながるのではないかと願っていたのです。

しかし、頑張って参加したわりには満足感は得られず、また自分の実践がよりよくなったという実感にも乏しく、いつも何かを求めて渇望していたという記憶が残っています。

1つの部署での勤務が4、5年経つと、おおよその仕事はできるようになります。新しい役割としてその部署でのリーダー的な仕事も担い始めるのですが、肝心の看護実践がどのくらいのレベルにあるのか自分1人ではわかりにくく、実践を深めていくにはどうしたらいいのかがみえにくくなります。

そういったことによるのでしょうか、

「声をかけることしかできない」

「そばにいることしかできない」

「私たちは何もできなかった」

と、ネガティブに表現する看護師の声を多く聞きます。患者から「あなたたちがいてくれて心強かった」というような、ケアに対する高い評価を受けていても、「私たちは……を行って患者さんのそばにいた」と自分たちが行った看護を、なぜ、自信をもって表現しないのでしようか。

私は看護師たちの「声をかけることしかできない」「そばにいることしかできない」という言葉に、私自身の若い頃の渇望感を重ねてしまいます。

「私たちは看護師なのだから何もしていないことはないはずです。自分たちがどのような看護を行っているのか、明らかにしましょう」と言い続けて、看護の振り返りを行ってきました。

すると、看護を振り返ることによって、看護師たちが「私たち、こんなにすごいことをしていたんですね」「患者さんの面会前の整容には、社会的な役割を支えるという深い意味があったのですね」などと、自分たちが行った看護の意味をとらえ、看護の価値を感じることができるようになりました。

なにより、「看護を振り返ることによって私自身が救われた」という言葉がありました。

このような経験から、私は看護師にとって知識を得る講義形式のセミナーだけではなく、経験しながら看護実践を深めていくことが必要であり、やりがいにつながるのではないかと思うようになりました。

しかし、私もかつてはそうでしたが、4、 5年の経験を積んだ看護師たちでも看護実践を言葉にして表現することが不慣れです。何か印象に残った事例はないかと聞いても、「普通にやっているので特に話すことはありません」と首を振ります。

あるいは「何を話せばいいのでしょうか」と尋ね返されます。患者の状態をどのようにとらえて、それをどう判断したかなど、頭の中で行っていたことは、意識されることがあまりないように感じました。

それは、いつも当たり前に看護を実践しているので、実はすぐれた実践を行っていても、 1人では気がつきにくいからなのです。いい看護をしているのに、私にはそれがじれったくて仕方がなく感じます。

「そばにいることしかできなかった」ではなく、「そばにいることがその人にとって必要な看護であった」と看護の価値を見出すことによって「次はこうしよう」と次の課題が明確になり、看護がより発展します。

何より患者にとっては、自分に行われた看護が、看護師によって肯定されなければ頼るものがなくなってしまうことなのです。

「私(看護師)がこのように患者に……のケアを行ったことは、このような理由があり、その患者にとってこういつた意味があり、それによって患者はこういう言動をした」というように、自分が行った何気ない行為と、その後の患者との相互のやり取りを言葉で説明することができれば、忙しく流れている医療の現場の中で、看護師も患者も自分が存在していることの意味を見出すことができると思います。

このような経験を通して私は、次の3つのことを学んできました。

1つは学んだ知識と自己の実践と結びつけ、考えながら看護を行えるようになる必要があること。

2つには、看護を言語化して説明(話すことが)できるようになる必要があること、それには自己の実践を振り返り、次の実践につなげることができる力をつけること。

3つめとして、看護経験を通して看護師個々が、自分の行っている看護の価値や意味を「実感」できることです。

看護経験とは何か

看護師は国家資格を手にしたときから生涯、看護を行い続けます。私がかつて新人看護師として、はじめて配属された循環器科・内科病棟には30年に及び、看護を実践してきた「ベテラン看護師」がいました。

その看護師と一緒に夜勤を組むと、忙しいときでもスムーズに仕事がはかどり、ナースコールが少なく、また、その看護師のラウンドの後に病室に入るときちんと寝具が整っていて、「すごい」と感じました。この看護師は患者からの信頼も厚く、私もそんな看護師になりたいと心から思いました。

しかし、一方で、看護経験を長く積んだからといって、誰でもが熟練した看護実践を行うことができるとは限りません。ベナーは経験を「経験とは今、目の前で起こっている現象を過去の体験や既存の知識を活用して新たな状況に対応すること」と、説明しています。

では、経験を積むとはどういうことか、採血の例で考えてみましょう。

採血をはじめたばかりの新人看護師は、その手順をマニュアル通りに行います。しかし、多くの患者に採血を行っていくということは、患者の年齢や病気によって皮膚の張りが違うことや、血管の走行にかなりの個人差があることなど、毎回違う状況に遭遇することになります。

やがて、成功体験や失敗体験を積むうちに、どうやればうまくいくのかということがだんだんわかってきます。

例えば、これは私の経験ですが、《高齢者の場合は、30代の壮年期の男性とは違って、血管が動きやすく、もれやすいので、皮膚をしっかり伸展させるとよい。その際、針は血管の真上からではなく、数ミリ脇から血管に沿って刺入するとよい》といった「コツ」が積み重なってきます。

このことは、それまでの「一般的な」採血の経験では適応できない「高齢者の採血」という状況において「皮膚の伸展をしっかり行う」という新たな「実行可能な方法」を見出していることなのです。

そして、次の採血のときに、新たな「実行可能な方法」が知識となって、日の前にいる患者の採血をうまく行うにはどうしたらいいかという、新たな状況に活用することができるようになります。

こういったことの積み重なりが経験なのです。

熟練した看護実践と看護経験

採血の例で示したように看護師は、行為を繰り返し行いながら患者の状況に対応しながら経験を積み重ねています。

こう考えると看護師であれば誰でも、このような行為を行っているわけですから、長い時間、看護師をしているほど経験が豊かになるので、熟練した看護実践につながると考えがちです。

しかし、ベナーは長い年月の看護経験が、必ずしも熟練した看護実践にはなるとは限らず、経験の質が大切であると述べています。そこで、まず、熟練した看護実践について考えてみましょう。

ベナーは個々の優れた看護実践を通し、初心者、新人、一人前、中堅・達人の5段階に看護師の技能を区分しています。

それまであいまいだった看護師の仕事を、技能と経験を経て文脈から学び、状況から判断ができる技能をもつことができる仕事であることを明確に説き、カナダや米国、オーストラリアなどで多く支持されてきました。

この考え方の特徴は5段階の技能が単なる積み重ねではなく、原則論を用いて行動する新人の段階と、経験に基づいて状況をとらえて実践する中堅の段階では、明らかに質的な飛躍があると考えられていることです。

経験を積むことによって看護師は、新人から中堅、達人へと熟練した看護実践が行えるようになります。

そのためには「経験に基づいて状況をとらえて実践する」ことが必要であると考えられているのです。

ベナーによると熟練した実践とは、「刻々と変化する状況を予測し、基準を頼りにするのではなく、臨床での積み重ねの中から考えていくシステムをもち合わせ、患者にとって重要なことは何かを推論して、その人の状況に合わせた実践」であると説明されています。

そして、熟練看護師は、観察を通して患者の生活行動能力や病状の変化を把握して、時と場に合わせたモニタリング機能を行っていること、さらに、患者の生きてきた生活過程や体験を理解したり、患者の変化を意味あるものとして言語化して返したりといったケアを行っていることも明らかになっています。

熟練した実践とは、「患者の望むペースを尊重し、患者なりの文脈を理解しつつ、専門職としてかかわるタイミングの判断をして、患者の状況にあったケアを意図的に行うこと」であると考えることができます。

熟練したケアを行う看護師とは「たまたまやってみたらうまくいった」というのではなく、行う前からある程度のよいアウトカムを予測して、それに向かって意図的に行為を行い、また修正を行うことのできる看護なのです。