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看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

学生だからこそ、始めて感じた人の出会いと生き様

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Mさんと出会ったのは夏休みの病院アルバイトの時だった。

何もかもが初めての空気に少しずつ慣れはじめたころ、車椅子での散歩を頼まれるようになった。車椅子を動かすことは学内で少し演習しただけで不安もあった。

最初のうちは先輩が率先して行ってくれていたのだが、病棟の忙しさから先輩が不在になることも多くなってきた。

 車椅子での散歩

そんな時だった。


緊張いっぱいで病室を訪れたとき、Mさんは少し険しい表情でべッドに腰かけてた。
私は恐る恐るであったが思いきって声をかけた。

「Mさん、お散歩行きましよか」

少し間をおいて、Mさんは車椅子にゆっくり移った。

「よっしや、行こ」

こうして始まったMさんとの散歩。一階のべンチに座り「ほんまはアカンねんけどな」と、リラックスした様子で煙草を吸った。

Mさんは食道がんだった。私自身が車椅子を移動させることに精一杯で、Mさんとは「行きましょか?よっしや!」「今日は晴れてて気持ちいいですね」「ほんまやなあ」そのくらいの会話しか初めはできなかったが、日が経つごとに言葉の数も増えていった。


何気ない会話であったが、夏の日差しを遮る食堂の赤いパラソルの下でおだやかに時間が流れていた。

いつからか一階の喫煙べンチより、食堂のテラスの、この場所のリクエストが多くなっていた。連日つづく暑さの中だつたが、テラスでのMさんの表情は病室のべツドで初めて対面した時とは違い、清清しく、無邪気な笑顔もこぼれていた。

「ご気分、だいじようぶですか。そろそろ戻りましようが」「もうちよっとな」

もう一本煙草を取り出していた。

風の強かった日には、たたんでいたパラソルを食堂のおばさんに立ててもらったこともあった。Mさんは赤いパラソルの下が好きだった。

「病室におるとな、気がおかしなるわ」Mさんは言った。Mさんの妻は老人ホームで暮らしており面会に来る人は誰もいなかった。

「今日も頼むわな」「そしたら二時くらいでもいいですか~?」Mさんはうなずいた。約束通り病室を訪れるとニッと笑った。

アルバイトは緊張の連続で家に帰ればすぐに眠ってしまう毎日であったが、Mさんとの散歩のときはそれも少し緩やかになり、病棟とは違う空気を私自身、感じていた。

 「そうなんか、今日で終わりなんか。いい看護婦さんになってや。また遊びにきてな」「また、お会いしましょね」こうして夏のアルバイトは終わりを迎えた。

再会

 それからニか月が経ち、夏休みに通ったべンチを通りかかる機会があった。Mさんが座っていた。

Mさんを知るクラスメートとうれしくなってかけよると、白衣でない私たちを前に一瞬間をおいて、「おお、久しぶりやなあ」とニッと笑った。

「メガネな、直ったんやで」夏休みに眼鏡フレームが壊れて、級友が調達してきてくれた特殊テープでなんとかつなげて修理したことがあった。修理。とは程遠い代物であったが、彼女と四苦八苦しながら形にしたことを覚えている。

一時帰宅のときに直してきた、と得意気に話してくれたのだった。

「旅行は楽しかったか?」夏休みに友達を訪ねる話を覚えてくれていたのだった。

Mさんは移動式の支柱台をもって一人で一階に来ることができるようになっていた。私はそのことがとてもうれしかった。支柱台には初めて見た、ひときわ大きな点滴バッグが吊るされてあり、Mさんは煙草をくゆらせながらそれを見上げていた。

「またな」「はい、またお会いしましょね」別れ際のMさんは夏休みと同じ笑顔だった。

 悲しいねん、けど人生や

 さらにニか月、冷えた空気で気持ちが引き締まる季節になり、初めての臨地実習を迎えていた。

実習病棟のすぐ隣がMさんの病棟だった。一週間の実習があっというまに過ぎてゆき、最終日の午後、実習を終えての面談を待ちながら私はカンファレンスノートをまとめていた。

「Mさんに偶然廊下で会ってん。今、談話室にいてはるねん。はやく、はやく」級友もまた、折にふれてMさんの容体を気にかけていた。

彼女もMさんと偶然出会えたことがうれしくて仕方ないようであった。

談話室の大きな窓のそぱの長椅子にMさんはちよこんと、座っていた。

「おお、元気やったか」「はい、元気でがんばってます。Mさん、具合はいかがですか」

話そうとするMさんは、痰がからみ言葉にならなかった。思わずMさんの背中に手をあてた。かたい背骨が手にあたった。

私はこのときの会話を思い出すことができない。ただ、Mさんの小さな背中の感触だけを覚えている。

面談の時間が迫っていた。「また、お会いしましよね」Mさんのそばには売店で買ってきた小さな袋に入った菓子パンがあった。私は夏に売店でカステラかあんぱんか何度も迷っていたMさんを思い出していた。

ふり返った時のMさんは小さく、ちよこんと座っていた。

一人そばに残った級友から、その後、Mさんが泣いていたと聞いた。どのような思いがMさんの頭をよぎっていたのだろう。私にははかりしれない長く重なり合ったMさんの歴史の上の何か、小さな一点がそこにあったのだろうか。

冬休みも間近に迫った日の放課後、級友が泣いていた。「Mさん、亡くなったんやって」

それは、談話室で会った日からまもなくのことだった。私は自分でも不思議なくらい何の感情もわいてはこなかった。

とても静かだった。長椅子に座る小さなMさんの姿だけが思い浮かんでいた。その光景はまた、とても静かだった。級友に何か声をかけたいと思ったが、何の言葉もみつからなかった。

帰り道、自転車をこぐ私の頭にはさまざまな瞬間に垣間見たMさんのニッと笑うその表情が映り、消えていった。
目の前の景色がぼやけて見えた。

短い夏に出会ったMさんの、時折見せてくれたその表情を忘れることはない。そして忘れてはいけないとも思う。
これから出会うであろう辛い病いを抱えた患者さんが、あの夏のMさんに似たおだやかな表情を向けてくれるような看護師になりたいと今、改めて思う。