看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

10日分の睡眠薬を一気に飲んだ

f:id:una-kowa:20161217190655j:plain

白衣のズボンのポケットにしまった携帯電話がひんぱんに、振動している。千葉県内の喫茶店で会った看護師のカズヤさん(三四歳、仮名)は同県内にある訪間看護ステーションの運営者だ。

 

話を聞いている間も、患者の容態を報告するメールや、連携先の大手医療機関からの問い合わせの電話がかかってくる。そのたびに手際よく判断し、はつらつと指示を出す表情からは、彼がわずか五年前、病棟勤務のストレスから睡眠薬などを大量に飲み、自殺を図った経験を持つことは、わずかもうかがうことができない。

自ら望んだ職場のはずだった、という。

カズヤさんは看護学校を卒業後、千葉県内の公立病院に就職。最初に配属された総合病院で七年間、勤務した後、かねてより希望していた系列のがん専門病院へと移った。
「将来はホスピスや緩和医療に携わりたいと考えていました。いろいろな経験を積みたいと、異動を希望したんです」。ところが、以前の職場と新しい職場では、看護方法や勤務実態が天と地ほどに違った。

カズヤさんによると、がん専門病院では多いときで同時に十数人もの患者の点滴や採血、食事介助、清拭、検査への付き添いなどをこなさなくてはならなかった。患者と向き合う余裕のあった以前の職場と比べると、それはまるで工場の流れ作業のようにも感じられた。

「とくに、抗がん剤の点滴は分刻みで管理しなくてはなりませんでしたから、四六時中、病棟を走り回っていた気がします」

看護師の定数こそ充足していたが、現場は慢性的な人手不足で、仕事が定時に終わるこ
とは、まずなかった。看護記録やサマリーなどの書類は勤務が終わってから作成するのが当たり前。夜勤明けなのに、正午まで書類書きに追われ、昼食を院内の食堂で取ったことや、午前一時までの準夜勤のとき、いつのまにか夜が明けていて日勤者と鉢合わせしたことも、しょっちゅうだった。

以前の職場は労働組合が健全に機能していたが、新しい職場では、
「時間内に終わらないのは、自己責任」との不文律がまかり通っていて、残業代を請求できる雰囲気ではなかったという。

「がん専門病院の看護はそういうものと、割り切れればよかったんです。でも、できな
かった。前の職場では、問題なく働いてきたというプライドもあったのかもしれません。

ただ、私の場合は『理想の看護と違った』『やりがいを感じなれなかった』などと主張をする以前の問題でした。最低限の業務をこなすことができなかったんですから。いじめやパワハラがあったわけでもありません。要は、仕事についていけなかったんです」

カズヤさんは誰かを非難するわけでもなく、理想とのギャップを声高に訴えるわけでもない。その話しぶりには几帳面で、誠実な人柄がにじむ。

しかし、職場では次第に先輩らから「まだ、終わってないの」「早くやってくれるかな」と小言を言われるようになった。叱責というほどではなかったが、戦力にならなくてはとのプレッシャーや、足を引っ張っているとの焦りがおりのように積もっていき、そのストレスは不眠という形で表れた。

身体は疲れきっているのに、眠れない。医師から処方された睡眠導入剤はすぐに効かなくなり、次第に薬剤の量が増え、最後は複数の睡眠薬を飲んでも、 ハルシオンなどの強い薬剤を試しても効き目がなくなった。さらには、睡眠薬の副作用で手が震えるようになり、今度は震えを抑えるために別の薬剤を飲んだ。

倒れる寸前までくたくたにならないと寝入ることができないため、それまでギャンブルなど興味もなかったのに、勤務明けのパチンコ通いが習慣になった。真っ暗闇のなか、自宅のソフアで延々とビデオ映画を眺め、眠気が訪れるのをじりじりと待ったこともある。

通勤時に自家用車で通る山道のカーブでは、ストレスをぶつけるかのように急加速を繰り返すようになったという。カズヤさんは「あのころは、子どももできたばかりだったのに。パチンコのために、家の中からお金まで持ち出すようになってしまって。今、思い返してもすべての記憶がぼんやりしていて、とても自分の経験とは思えないんです」と振り返る。

カズヤさんは異動後、半年あまりで休職。ある日、衝動的に一〇日分の睡眠薬や安定剤などを一気に飲んだ。すぐに病院に運ばれ、事なきを得たが、結局、職場に復帰することはなく、そのまま退職することになった。