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看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

残された時間を精一杯生きるための希望の灯を見出す

experience

Mさんは80歳、男性。

S状結腸がん・直腸がんの手術を受けた後、軽快、退院され、自宅で老人会の役員やボランティア活動、ラタン(藤細工)講師のアシスタント、俳句等の社会活動を精力的に行っていた方でした。

家族の希望により告知は受けていませんでしたが、病状について医師に問うことはなく、元気に過ごされていました。

 

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ところが、2年後11月に転移性肺がん・骨転移・がん性腹膜炎によるイレウスで入院。末期状態ということで対症療法となり、麻薬による鎮痛、中心静脈栄養、腸阻蠕動改善薬の投与が開始されました。

患者との会話から苦痛を知る

二週間が経過した頃、イレウスが少し改善し、流動食が開始されました。

私は車椅子のMさんと病院内の日当たりのよい渡り廊下まで散歩に行きました。

「ご気分は悪くありませんか」と聞くとMさんは、「こんな状態では生きているとは言えない。自分のための人生なのに自分でなにもできないなんて」と力のない声でつぶやきました。

それから、今までの自分の人生を語り始め、草履職人であったこと、息子が立派に成人し満足に思っていること、老人会で役員を二年間務め、次の人に引き継げたこと、自分の人生は幸せだったこと、そして「少し長生きをし過ぎたようです。今は余分な人生です」等、いろいろと話をしてくだざいました。

私は、この散歩でMさんが人生を精一杯生きてきて幸せに思っていることを知りました。しかし、「今は余分な人生で、こんな状態では生きているとは言えない」という言葉がとても悲しく、活動的なMさんにとって今の寝たきりの状態はこのうえない苦痛であると感じました。

イレウスは改善に向かっていましたが、全身状態は衰弱していたので、Mさんが自分でできることはないものかと考えていました。

目的をもつことの意味

ちょうどその頃、当院では、「ターミナル研究会」という事例検討会が月一回定例で開催されていました。

ターミナル研究会で「ターミナル期に作業療法が効果的である」との紹介がありました。私はすぐにMさんに試みてはどうかと思いました。Mさんは手先が器用なこと、活動的な生活を送っていたこと、何もできないことに苦痛を感じていることから、作業療法を行うことで生きていることを実感できるのではないかと思ったからでした。

病状を考えると少し遅い時期であるとも思いましたが、今ならまだ可能ではないかと判断しました。当時は、機能訓練での作業療法が中心で、ターミナル期の患者に作業療法を取り入れることはあまり知られていなかった頃でした。

医師に話をもちかけたところ、今の病状ではリハビリテーションはとても無理とのことで、まったく受け入れてもらえませんでした。しかし、Mさんが「今の状態では生きている意味がない」と言っていることに私はこだわりました。

Mさんの悲観的な言葉や精神状態から、何か目的をもち入院生活を送ることが必要であることと、作業療法の有効性を説明し、行うことの許可を得ました。

日常生活の拡大

Mさんに作業療法のことを話すと、「やってみたい」とのことだったので、作業療法を導入することになりました。

身体機能の維持・改善と気分転換・生活空間の拡大を目的に、まずは筋力の低下があったため、作業ができるための身体機能の改善を考える必要がありました。

車椅子乗車を少しずつ増やし、五日間で90分の乗車が可能になりました。その時点で訓練室での作業療法が開始となり、Mさんは自分の得意な藤細工を作製することになりました。

家族に藤細工に必要な物を準備してもらい、はじめは妻が手伝いながら行いました。藤細工を始める前と藤細工開始直後を比べると体調はよくなり、痛みも緩和されました。

「リハビリは楽しい」という言葉が聞かれ、家族からの食事の差し入れに「食事がおいしい」と、少しですが摂取できるようになりました。藤細工を始めてからテレビやラジオ、俳句の本を読む等、日常生活は拡大されました。

医師はこの回復に「よくなったね。すごいね」と作業療法の効果に驚いていました。

藤細工の一作目は、めがねケースが入るくらいの大きさの丸い籠を作製しました。「すごいですね」というと、「目が少し粗いので、まだまだです」と、草履職人であった自負もあり、厳しい評価をされていました。

最期まで精一杯生きる

12月中旬、感染症が合併したため個室への転室となりました。

機能訓練と作業療法は病室内での継続としました。病状は確実に進行していましたが、Mさんから入院時のような悲観的な言葉はありませんでした。

とにかく藤細工をしている時の表情は、なんとも言えない笑顔がありました。休日には老人会の友人が面会され、楽しそうに会話するMさんがいました。

1月に入ると、痛みや息苦しさが出現するようになり、車椅子に座ることも少なくなりました。しかし、藤細工は気分のよい時間をMさんに決めてもらい、看護師がセッテイングし作業を行いました。

この頃、藤細工をしている時のMさんは、看護師が少し休むように声をかけても集中していたため、声をかけにくいほどでした。藤細工の二作目はワインを入れる籠が完成しました。

なかなか手が言うことを利いてくれず、満足な作品とはいえないようでした。2月中旬頃から三作目の花瓶を入れる籠に取りかかり始めていました。

3月に入り病状がさらに悪化し、藤細工三作目は作製途中のまま作業ができなくなりました。家族に「自分の死が近い」と告げた二日後、家族の見守る中、静かに永眠されました。

臨終の場でご家族から「父は最期まで精一杯生きたと思います」という言葉がありました。

Mさんは、入院当初は生きることを半分あきらめていたと思います。しかし、衰弱が進んでも藤細工の作製をつづけられたことは、寝たきりではいたくないという前向きな姿勢が、藤細工を作るという目的をもつことによって取り戻せたということだと思います。

患者がその人らしさを保ちつづけられるために私たち看護師にできること、チーム医療の中でできることを学んだ事例でした。