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看護師転職ごっこ

転職を繰り返した看護師の私が毎日元気になれるよう、仕事、人生にふらふらしたときに気ままに書いています。

治療法があるのに、治療を受けさせないということは、どういうこと?

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目の前に起こることを、自身の感情を殺さずに受け止め、感情を使い分けられるようになったのは、師長時代のことです

いくつかのきっかけがありました。ある、先天的な障害をもつ子どもが生まれたご両親が、命を助けるために必要な手術を勧められたのですが、拒否されたのです。

 とてもイライラしたことを鮮明に覚えています。そのイライラがどうしてなのかを考えました。

考え抜いてたどり着いたのが、私には「命の線引き」があってよいのかというジレンマがあるのに、それを伝えていないということです。それで、その気持ちをぶつけてみたんです。

命の線引きは必要だと確信した

「治療法があるのに、治療を受けさせないということは、どういうことなんだろうか。育児放棄にほならないんだろうか」って。

ご両親はこの言葉を真剣に受け止めてくれると同時に、手術も受け入れてくれました。

「おかしい」と感じることを患者さんに伝えたことで、本心を語ってもらえるような経験をし、武井麻子先生の本「感情と看護(医学書院)」に出合ったことも手伝って、ナースは患者さんに対して感情を殺さなくていいんだと思うようになりました。

自分の感情に気づき、それを患者さんに向け、反応を見て、また対応する。そんな「感情をスキル化する」ことは看護の方法論の一つだと実感しました。

これができれば、自身もジレンマやストレスと向き合うことができるのではないでしようカ,

自分の感情に気づく訓練も必要です。ナースは「患者の気持ちに寄り添うよう教えられ、自分の気持ちに気づけないことも多いように思います。それではストレスにもなるでしよう。

踏み込んだケアを行わなければ看護への自信がなくなる

ただ相手の思いに寄り添っても、踏み込んだケアを行わなければ、なあなあの関係に留まり、関係を深められないんじゃないでしょう。。

踏み込んだケアの必要性を話すと、経験をもたないナースは、「自分の無力さが悔しい」「どう対応したらいいのかわからない」と言います。それは、「自分は相手に対して何かできるはず」ということを前提にしていることが多いからではないでしょうか。

踏み込んだときの対象の反応に見通しがもてていないと、自分の働きかけに対する「対象の反応がわからない」のが怖いんじゃないでしょうか。
踏み込んだケアに自信がないと、無力感とかジレンマにつながっていく。無力なのは当然です。私たちが万能であるはずがない。「無カで、なすすべもない、そんな自分を申し訳なく思っている」ということをきちんと患者さんに言えればいいのだと思います。

まとめ

悩んで立ち止まらず、行動することをお勧めします。みずから考えることや勉強することは自由です。

それをせずに、周りのせいにしていませんか。自信をもつためのお勧め、まずは自分のナンバーワン分野をもちましよう。「これはあの人に
聞けばわかる」って言われるくらいに。

そこから積み重ねていけば、きっと花開します。仕事も楽しくなります。